わたしの体と宗教
わたしは高校生の受験期の頃、学校が終わって、そのあと塾に通っていました。
いつもは駅から自転車で学校に行き、塾にも自転車で行きました。
でも朝雨が降っていたりすると、駅に自転車を置いて学校に行くので、学校から歩いて塾に行かなければなりませんでした。
学校から塾までは歩いて30分はかかりました。
だからその日も急いで塾に向かっていました。
すると、二人の女性に話しかけられました。
もうどんな話をしていたか覚えていませんが、彼女たちはなにか宗教のことを話していました。
わたしはとりあえず人の話は聞くように習慣づいていたので、ああ、まずいなと思いながら素直そうな素振りで彼女たちの話を聞きました。無下にするのも当時のわたしは怖かったのです。
そして聞いていると、彼女たちは、一つの楽譜を取り出しました。
わたしは音楽をやっていると話したからです。
そして一緒に歌おうと言われ、わたしは歌いました。とても楽しそうに。愉快そうに。彼女たちの意見に賛同するように。
その後、彼女たちとその仲間が集まる会に呼ばれました。
わたしは行きませんでした。
わたしは救われたいと思うほど落ち込むこともなかったし、なんだか受験でそれどころではないし、そもそも誰も助けてはくれないと思っていました。
受験をするのも、生きていくのもわたしの体なのです。
脳みそがふわふわ包まれて救われたからといって、体がそうでないなら、意味がないのです。
わたしはそういう経験から、自分の生きる意味は、この体を幸せにしてあげることだ、
そう意識して過ごすようになりました。
だから文章を書くし、ご飯を作るのです。
少しでも笑っていようと思うのです。
わたしはそうして生きていきます。
わたしはわたしに、どんなことをしてあげられるでしょうか。
それが楽しみなのです。